ネコの人生の物語。

冬に生まれた

ソードアートオンラインをみて、子供の頃の話をする

ソードアートオンライン オーディナルスケールを観てきました。

特上ネコ(あいう)です。こんばんは。

 

今日はその映画の感想を書くか迷った結果、別なことも書きます。

SAOのARのゲームシーンはIngress味もありとっても楽しそうでした。やってみたいなーって思ってました。ストーリーは展開し、ゲーム内で命の危険が発生し、死ぬとか殺されるという話に入って、ついていけなくなりました。

もともとSAO初見だったので、そういう話とは知らなかったのもあったのですが、ゲーム内で命のやりとりが起こる→それに立ち向かうチームという流れが、つらくて。

だって死にたくないし、死ぬときは大体苦しむことになるので、ゲームでも死にたくないです。死ぬ話は置いといて。

立ち向かっていくチームって、なんというかそれぞれ役割がありますね。

役割って時間をかければそれだけフィックスしていくというか、後から来た人はよっぽど強くないと仲間にしてもらえないんですよね。だからきっと今日初見の私には入り込めない世界なんだなと思ってました。

役割ってそれぞれが共有した時間の長さによってもヒエラルキーがつきますね。

何が言いたいかというと、子供の頃おままごとで「家族」になれなかった私は、今でもゲームでの仲間にしてもらえないのかなあという気持ちが膨らんでしまったのでした。

ゲームでのってほらIngressとかコミュニティあるゲームじゃないですか。

これからはそういうコミュニティを形成していくゲームって増えるんじゃないかなーと予想してるんですけど(当たらなかったらごめん)、人のつながりの中で役割を演じることができなかったら、隅っこをついていくことになるんだなって思う。

子供の頃の話に戻るけど、おままごとの役割ってヒエラルキーもあるし、周りが認めないとその座に座ることができないです。幼稚園の頃休みがちだった自分に回ってくるのは、犬、猫などのペット、木、鯉のぼりなどの無機物ばかり。あぶれてたんですよね、毎日いるわけでない人間がポッと来ても座るべき椅子がない。

毎日必死にログインして実績を稼いでおかないと、椅子はない。そうですね。

Ingressでも同じようなことは起こってるなあああなんて勝手に思っており、実績がないのでいつまで経ってもやりたいポジションを奪えないんだなあ。

つい最近、こういう展開になったら嫌だなと思ってたことが実際に起こり、私はもう実績を作ったり頑張ったりするのを諦めそうになってる。

 

ごっこ遊びの役割さえ演じられないってのは、未だに結構しんどい気持ちにさせるものですね。

やっていきましょう。(真似)

おわり。

将来の夢は、宇宙飛行士か魔女

子供の頃の、将来の夢は宇宙飛行士か魔女という話を昨夜のツイキャスでしました。

宇宙飛行士は職業だけど、魔女は生き方なので名乗った瞬間から魔女になれる?

将来の夢を聞かれるとなぜ職業で答えないといけないと思うんだろうね。

今気分に一番近いのはきっと魔女だなあ。

ちょっとどうやって生きるか考えすぎておかしくなったみたいになってるけど。

 

コーチングの本を読んだ

人からオススメいただいて、コーチングの本を読みました。特上ネコあいうです。

その感想をほにゃほにゃと書いていきたいと思います。

まず読んだ本はこちら。

コーチングのプロが教える 「ほめる」技術

コーチングのプロが教える 「ほめる」技術

 

最初は聞いたことある話から始まります。人を認める、認識してることを伝える、その人を紹介するときにさえそれはあるのだという話です。

わかるわかる。私だって、30人規模なら全員に一言つけて紹介したりしたよ。そしたらすごい好評だったのでまたやろうと思った。

 

そのあと、人間のタイプ別のほめられて嬉しいこと、嬉しくないことというのが出て来るんだけど、私完全に目からウロコ。

具体的にここが良かったと言われないと納得しないのは私と同じタイプの人だけだったのだな?私はアナリストタイプなのだ。

この本を勧めてくれた人はコントローラータイプだと思った。身近なあの人はサポーター。みんな違うんだけど、類型を考えながら紐解いていくことができるのか!知らなかった。

知れば、あーそうだよねって思うんだけど、そのタイプを会話の端々から瞬間だ見抜いて、どんな言葉をかけてほしいか考えるのは私には簡単にできなさそうなのだ。

もしそれが可能になれば…と想像した。良いかも。もし、直球とクセ球を同じフォームで撃てれば…というやつ。

どう考えても強いよね。

 

分類のラベルを得たので、そのラベルを活用してみよう。そしてきっとその人が喜ぶであろうことをしてみようと思う。

 

ところで、この本を勧められたのなんでなんだろって考えてた。

もっと上手くできるよってことだったのかな。人を認めて認識を伝えて…そうコーチングのスキルがきっと役に立つってことなんだろな。

こういう風に準備をして、周りと自分を整えて戦ってる人はすごい。

私はどんな風に戦えるかな。

 

コミュニティと下ネタ

政治的な主張ではなく、個人の感想です。

 

コミュニティ内で下ネタやる時、配慮足りない人が多いんだなって実感した。配慮っていうか想像力。

 

前にとあるハングアウトに入ったところ、下ネタゲスネタが酷すぎて、一瞬で精神が死んだことがある。ハングアウトの本来の目的のために入ったにもかかわらず、下ネタゲスネタを我慢しないと目的には手も届かない状態だったので2日で抜けた

抜けるに際し、私は離れる判断ができるし他の場所があるからいいけど、ここに初めて入ってきた人は困惑するでしょうね、という感じのことを言ったのだが、それに反論がきた。

男女問わず楽しんでいる人が多く、あまりに清い水の中では生きられないものですよということだった。

これを聞いて、私はこの先この発言者とは関わりたくないと思った。

社会性ないんだなあって思った。その人リーダー的存在だったし、なお残念だった。

 

という話を昨日別なところで言ったら、「それは何も言わずに去れば良かったのでは」と言われた。

不快なことを不快と言わずに去ることが正しいとされる価値観と私は相容れない。

男女問わず楽しんでるならいいのかというとそれは違う。楽しんでいる、楽しんでいるふりをしている女も想像力がない社会性がない人物だ。

下ネタゲスネタを全く言わないことが正義という話ではない。嫌だという意見を受け入れられないことが問題なのだ。

多様性の初歩の初歩で躓いてるのだ。

どんな下ネタゲスネタも考えてる間は好きにやればいい。けれど言葉や行動として発露するときには気をつけようね!

 

なお、私は人を啓蒙していきたいのではない。啓蒙したいならつらいことも耐えろというご意見をいただきましたが、不当だと思います。

 

コミュニティを形成するといろんな人がいるんだなってことに気付く。それには多い少ないはあっても上も下もないのに、上下があると考える人もいる。

他人のことはどうでもいいのね、社会性のない人。

会社では猫かぶって言わないことも、遊び仲間だと全部剥がれてしまうのね。

 

私が問題あるなって思うのは、女もそうなの。自分は関係ないと思いながら搾取されてる人、それに気付いてない人、下ネタもイケる私を自認する人。想像力ないんだなって思う。

オタサーの姫みたいな曖昧な言葉で定義されるやつではないよ。

 

いろんな人がいるのは仕方ないので探り合っていくしかない。

私だって完璧に分別がついて、人を差別したり傷つけたりしてないわけではないのは認識している。

コミュニティで下ネタゲスネタやるときはぜひご配慮くださいねという話でした。